ミグ25が頭上を通過!函館空港まで見に行った体験!
最近テレビでミグ25が函館空港に飛んできた話が何回か放送されましたが、あの事件から40年もの歳月が過ぎたにもかかわらず、私にとっては一生忘れられない記憶として残ってます。
1976年(昭和51年)当時は、まだ車も少なくセリカリフトバックやギャランとか走ってた時代ですからね。その頃小学生だった私にとって、ものすごい爆音とともに飛ぶ巨大な戦闘機を見た時の衝撃といったら半端じゃありませんでした。その時の記憶をたどりながら話したいと思います。
超低空飛行でミグ25が頭上を通過
その日は確か小学校の遠足帰りだったような気がします。もうすぐ小学校に着くという時に、ものすごい音がして顔を上げるとミグ25が通過して行ったのです。とにかく聞いたこともない爆音に驚き言葉も出ませんでした。まさに開いた口が塞がらないって状態でしたね。
当時の私は、自衛隊の戦車や戦闘機が大好きで図鑑のようなものを読んでいたので、ジェットエンジンが2つある戦闘機が日本のものでないことがすぐにわかりました。とはいっても子供だったので、どこから飛んできたのか、何が起きてるのか考えると少し怖くなりました。
今思えば、自衛隊の駐屯地の上空を飛んだような気がします。小学校が駐屯地の近くでしたから、隊員の人も気づいたと思うんだけどね・・・私はミグ25が飛んでいった方向から函館空港に着陸すると決めつけてました。(予想通り)
すぐにでもミグ25を見に空港に行きたいと思ったけど学校から勝手に帰れない・・・函館で戦闘機を見る機会なんて滅多にないないから、怖さも忘れてワクワクした記憶があります。なんせ見たこともない戦闘機だし、子供って好奇心旺盛ですからね。
やっと学校から帰ると自転車に飛び乗り函館空港へGO!
函館空港に着いたらミグ25が隠されていた!
必至にペダルをこいだけど15~20分は掛かったかな?坂もあるし子供には精一杯だったと思う。すでに上空を通過したミグ25を見てから1時間以上、もしかするとそれ以上過ぎてたかもしれない。
空港の屋上に着いて、ミグ25を探したけど見当たらない。それもそのはず、すでにシートが!その時はガッカリした記憶がありますね。でも最近テレビを見たら、すぐにシートを掛けられたみたいで、おそらく早く空港に着いても見れなかったでしょう。
その時にたくさんのメディアがいたと思うけど・・・まったく覚えてない。たぶんミグ25しか頭になかったからかな?何となく人がたくさんいたような気もするけど、なんせ40年も前のことですからね。私もオヤジになったから記憶も曖昧になったなー
不思議なもので“ベレンコ”という名前だけは頭に焼き付いてます。今と違って外国人の名前を聞く機会なんてほとんどないし、何かベレンコっていう響きが面白くて友達と「ベレンコ、ベレンコ」って連呼してました。
空港でミグ25は見れなかったけど、飛んでるのを見れただけでも貴重な体験なんですよね。
最近知った裏事情!
私はベレンコ中尉がアメリカに亡命したことくらいしか知らなかったけど、自衛隊は相当混乱してたみたいですね。ミグ25は低空飛行の連続で燃料が予想より消費され、燃費を良くするため高度を上げた時に一度レーダーで発見していたのですから・・・
すぐに千歳から航空自衛隊の戦闘機が飛んだそうですが、なんとミグ25を見失うという大失態・・・ベレンコ中尉の予定では日本の戦闘機に発見され、その後は千歳まで誘導されて着陸するはずだったのに、いつまでたっても日本の戦闘機がこない。燃料もほとんど底をつき函館空港へ着陸したそうです。
自衛隊としては日本の領空に侵入され着陸されてしまうという大失態。さらにベレンコ中尉は警察の管轄下で会うことも出来ない。そんな時にソ連がミグ25を回収するためにソ連空軍が函館に飛んでくるという話が・・・
自衛隊はパニックだったみたいですね。国との連携も悪く、自衛隊はソ連機が飛んで来たときのために急いで攻撃の準備をしなきゃならないという状況。そんな時に国籍不明機が飛んで来て大変な緊張状態になったようです。それが日本の航空自衛隊の輸送機でミグ25を移送するために飛んで来たからよかったものの、ソ連機だったらどうなっていたのか・・・(運んだのは百里基地だったかな?)
ミグ25を調べたら旧式の部品が使われていて驚いたそうです。意外ですよね、旧式の部品であれだけの性能を引き出しているなんて考えませんからね。誰だって最新のパーツを使ってると思いますよ。ある意味スゴイかも?
亡命の理由はベレンコ中尉がソ連空軍の体たらくに嫌気が差したのと、妻の金遣いが荒く夫婦仲も悪かったなどが理由らしいです。他の説もあるようですがテレビではそんな感じで説明してました。
テレビを見て改めてスゴイ事件だったと思いました。やっぱり事件から40年ということもあるのか、最近見た2番組ではかなり詳しく説明されてました。どちらかといえば忘れられた事件ですよね。だからっていうのもあるのかな?
この貴重な体験は、私の記憶に一生残るでしょう。